COLUMN

サンガツノコト’23

三月かあ。なんだか遠い昔のような気がしてしまう。何があったかあまり覚えていない。
しばらくお金を稼ぐという行為をしてなかったために年金や税金の支払いに対していよいよ危機感を覚え、本気で職探しをしていたような気がする。

そしてハンドキャリーという昔からずっと気になっていた仕事に応募し、その数日後にはハンドキャリアーとして働いていた。
面白いなあ。自分が昔からやりたいと思っていた仕事に、自分が必要な時に巡り合って、実際にやっているのだから。
おかげさまで順調に仕事を積み重ねているので、年金や税金の支払いもなんとかなるような感じがしている。

カレンダーを見返してみた。
ハンドキャリアーになった三月後半に忙しいのは理解できるのだが、三月前半も結構忙しく様々なことをしていた。
でも悲しいかな、書くほどでもない。
日常のささいな幸福を積み上げられていない気がして悲しい。

どっちなんでしょうね。
ささいな幸福すべてを記憶しておいた方が良いのだろうか。
ささいな幸福はたくさんあったし、ささいな不幸もたくさんあったと思う。それが普通だと思うし。どんな状況下であれ。

ささいな幸福を思い出せないから積み上げていない気がしている、そしてそれが悲しい。とは書いたけど、まあそんなもんか。

多分、この“悲しい”というのはせっかく文章にしようとしているのに三月にあったそれなりのエピソードが思い当たらないのが悲しいという意味なのだと思う。

何はともあれ、日記もとい月記はなるべく早く書くべきなのだなと痛感している。
夏休みの宿題にあった絵日記と同じだ。夏休みの初めの頃にあったことなんてすっかり忘れてしまって、思わず捏造してしまう。気づいたら異常に充実した夏休みを通過したことになっている。

今、思い返しても、小学生の頃の夏休みの宿題って異様に多かった気がする。
計算ドリル・漢字ドリル・自由研究・読書感想文・絵日記、多分他にもまだあったよね…?

少なくともそれぞれのボリューム感がすごくて、どこから手をつければ良いのかわからず、気づけば夏休み終盤になっていた。

今の自分自身に課せられている宿題のボリューム感。大したことないなあ。
その中で僕は3月のことを書きそびれてしまった。延ばし延ばしにしてしまった。そしてほぼ三月のことではない文章が出来上がったというわけである。

オーディションを受けました。
そのオーディションは、そのオーディションも落ちました。
ものすごく執着して、空回りして、とてつもなく前のめりで臨んだんですけどね。
後悔はないし、執着して本当に良かったなとは思っています。めちゃくちゃ悔しかったけどね。

どんな環境でも、状況でも自分を見失わないことだなと思います。自分のやりたいことは何か、自分がどうしたいのか。

執着して表出した自分の演技は本当に酷いものでした。力みまくって、肩をぶん回しまくってた。でもあれで良かったし、やっぱり執着を手放すことなんだなって再びそこに戻ってくることができた。

なるようにしかならないよ。

そんな風に言われている気がするサンガツノコト。

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